『如来の悟り、菩薩の願い』
『恐るべき体操坐りの陰謀』
・『生きる力』
・『冗談じゃない。その他だなんて』
・『1999年の筐』
 如来のさとりと菩薩の願い
近頃、法話の際に、仏像の眼の色のことを話すことが多いのです。
 案外、知られていなくて、仏像を間近に拝む人も、鑑賞する人たちも、ほとんどの仏像が古くすすけているために、
目頭と目尻の色の違いにまでは気づいておられないように思います。
 仏像彫刻教室に通った頃、先生から教わった大切なことは、彫る技術についての修練もさりながら、
仏像に表わされた一つ一つの特徴に込められた仏教の深い智慧と慈悲を教わったことです。
 その最大の驚きは、如来様の目頭と目尻には青い色を、菩薩様の目頭と目尻には赤色をさすという違いです。
 それ以来、注意して見てみると、如来像と菩薩像の目頭と目尻はちゃんと青と赤で塗り分けられているのです。
 そうしたきまりをといいますが、その儀軌をすぐれた祖師がたが、大陸から伝え、そして、仏師たちを指導して彫らせたのでしょう。
 さて、では青は何を表わし、赤は何を表わしているのでしょうか。
 青は完全な悟りを表わしているのです。
 おしゃかさまが悟りを開かれて後、はじめて、ふる里カピラヴァスツに帰られたとき、
すぐには王宮で待っておられる父、スッドーダナ王のもとに参られず、城内に入るや、市街を托鉢されたといいます。
 それを知って驚かれた父王は急いで市中にかけつけ、おしゃかさまの前に立って、なじられました。
 「御身は、我家を辱(はずかし)めようとされるのか」
「王よ、われわれの祖先も、この托鉢をいたしてまいりました」
 「我が家系には、いままで、一人の乞食(こじき)も出たためしがない」
「王よ、それは王家の家系であります。私の家系は燃灯仏(ねんとうぶつ)以来の家系でありまして、
諸仏ははみな、托鉢し乞食(こつじき)によって生命をつなぎました」
 いまや如来の自覚に到達しておられるおしゃかさまは、肉親の父親に対して、はっきりとこのように言い切られたのです。
 大法に生きられるおしゃかさまにとって、血縁ということは、もはや二番目、三番目になっているのです。
父王も妃ヤショダラーも、そのことをうやうやしく受け入れるしかなかったのです。
目頭と目尻の青い色に、そうした如来の尊い自覚を表わしております。
 それでは菩薩の場合の赤い色はどういう意味でしょう。
 それは菩薩方が私たちと同じ人間だということでしょう。同じ赤い血が流れているのです。では、菩薩方と私たちとの違うところはどこでしょう。
 それは菩薩方は気高く誓われた大きな願いを持ち続けて、努力を続けておられるという点です。
代表的な願いに四つのの願いがあります。

()弘誓(くせい)願文(がんもん)

 衆生(しゅじょう)無辺(むへん)誓願度(せいがんど)

     生きとし生けるものは限りなけれども、誓って救わんことを願う。

  煩悩(ぼんのう)無尽(むじん)誓願(せいがん)(だん)

     悩み苦しみの尽きることは無けれども、誓って断たんことを願う。

  法門(ほうもん)無量(むりょう)誓願学(せいがんがく)

     真実の教えは量り知れないけれども、誓って学ばんことを願う。

  仏道(ぶつどう)無上(むじょう)誓願成(せいがんじょう)

     仏の道はこの上なけれども、誓って成就せんことを願う。
      
 このような尊い願いを持ち続けて、永遠に努力される人を菩薩というのです。
 これからは如来像を拝まれるときは、完成された仏の智慧と慈悲の円満なお姿をお慕い申し上げ、
菩薩像を拝まれるときは、菩薩と私たちとは同じ人間だけれども、
胸に秘めておられる願いの気高さ、強さが違うのだということに思いをいたして掌を合わせて頂ければと思います。
『恐るべき体操坐りの陰謀』

週刊誌のような、タイトルを掲げましたが、今日の学校の児童生徒の姿勢を見ていると、
まさにこれは何かの陰謀なのではと思えてしまうのです。
 小学生たちが毎年、地域学習で寺を訪ねてきます。
ほとんどの場合、引率の先生が、「はいっ、坐って」というと体操坐りをします。
 この姿勢を考案した人たちは恐るべき人々だと思います。
なぜかというと、この国の将来を担う子供たちから、なるべく気力を抜き去ろうとしている謀略を感じるからです。
 おそらく全国的に小学校から中学、高校にいたるまで、このいわゆる体操坐りは普及しているでしょう。
 まず、グラウンドや体育館、たとえ寺の本堂であっても子供たちは両足を揃えて前に出し、
背中を丸めて、膝を抱えるようにします。これが正しい体操坐りのようです。
 これでどうなるかというと、背骨は丸く曲がり、下腹は圧迫され、内臓が上に押し上げられるので、
横隔膜が上がり、肺を圧迫するので呼吸は浅く短くならざるを得ません。
 首は前に出て顎が上がります。自然と口元がぽか〜んとしてきます。
 実に坐禅の説く姿勢の真逆なのです。坐禅の姿勢は、背骨を正しく弓なりに直立させ顎を引き締め、
下腹をゆったりと解放し、横隔膜を自然に下げ、肺を十分に使って、深々と深呼吸をします。
 その結果、へその下の丹田になんともいえない充実した気力と、
清明な意識から生まれる十分な集中力が養われるのです。
 実に体操坐りは、子供たちにそうした気力を身に付けさせないように巧妙に仕組まれているとしかいえません。
陰謀だとおおげさに言うのも一理あると思われないでしょうか。
 こうした動きとは反対に以前から「立腰教育」というのを実践している保育園があります。
 福岡市の仁愛保育園では、人間教育の土台として「立腰教育(立腰と躾の三原則)」を推進していて、
その実践は「国民教育の父」と呼ばれ、立腰教育の提唱者である故・森 信三氏をして「奇跡」と言わしめたほど見事に根付いており、全国から、教育関係者や企業関係者などの見学が絶えないといいます。
 ところがこれを取り入れて幼稚園、保育園が成果をあげたとしても、小学校に入れば、元の木阿弥、
さらに中学校までも顎出し猫背教育を大切な成長期、骨格が固まるまでの間、徹底させるのす。
特に男の子たちの多くは、家に帰ってからも、猫背でゲームに没頭する。
ただ手足の長い胸のぺったんこな腰の抜けたような若者が
電車の座席にずりおちそうに坐っている姿を見かけることがよくあります。
 今の、さらに将来の日本を象徴しているとはいえないでしょうか。
やはりこれはきっと何者かが、日本を駄目にしようと企んだ、周到な陰謀に違いありません。
なぜなら、相変わらず全国の学校で一律に徹底させているからです。
ことは組織的であり、国ぐるみだという気がしませんか?
                                                   冨士 玄峰
『生きる力   ぱどま33号より
 ある週刊誌を何気なく手にとって繰っていると、
一枚のページ全面の写真が眼に飛び込んできた。
 ぬいぐるみと花に囲まれた山下彩花ちゃんの祭壇の写真だった。
昨年三月の神戸連続児童殺傷事件の被害者の一人である。
 強い衝撃を受けたのは、その祭壇の遺影の上、正面に、
まるで本尊のお軸のように、一幅の仮表装の掛軸がかかっていたのである。
 昨年の正月の書き初めだったというそれには「生きる力」と書かれていた。
力強く瑞々しい遺墨をご両親はどんな思いで祭壇の正面に掛けられたのでしょう。
 子供を失うことは、親にとって本当に寂しいことです。
けれども、その「死」をどう受け止めるかによって、親も亡き子も真に生きる道があるのですし、
逆に生きていながら「自分は生きている価値がない人間だ」と、
自身の「生」を肯定できなかった少年Aは、
「人間の壊れやすさを確かめる実験」の妄想の中で「死」を生きてしまったのでしょう。
 お母さんの京子さんの手記「彩花へ−『生きる力』をありがとう」はまだ読んでいないのですが、
さっそく法事の席で、この写真のことを話してみました。
 「私どもはお仏壇に、それぞれの宗派の本尊をおまつりしていますが、
それぞれの教義にのっとってのものです。
仏像であったり、祖師像であったり、名号、マンダラであったりするわけです。
しかし、いずれにしても、きっちり説明をさせていただこうとすると、たいへん難解なものにならざるを得ません。
まかり間違えば壇信徒の方々は、拒絶反応を起こしかねません。
 現に多くの方々は『私どもは大切な親や先祖の位牌をまつっているのであって、
本尊さまやお祖師さはいっこうにわからないし、ピンときません。まあありがたいという気持ちはありますが』と言われるでしょう。
 住職したての頃には、やっきになって本尊さまやお祖師さまのことを説いたものです。
議論好きな方とは毎月のようにやり合いました。
それも楽しかったのですが、今日、私は思い定めました。
 お仏壇の本尊は姿形こそ色々と有りますが、要は『生きる力』をおまつりしているのです。
これからは、そのように理解して下さい」と話しました。
 お仏壇は本来、自分が生まれてきたこと、生きていることを肯定できる、
豊かで力強い法の縁と血筋の縁をおまつりしている聖なる祭壇なのですし、
またそうでなくてはならないのです。
 六月に発表された、この国の将来に向けた教育の指針も、
「自ら問題を探求する『生きる力』の育成」を目指すのだそうです。
 しかし、果たしてどこまで深く問題を深く掘り下げての提言でしょうか。
 いよいよ私ども宗教者が、本当の『生きる力』を各家庭におまつりしていることの意義を、
あらためて広く世に説く時が来たようです。
冨士玄峰
 『冗談じゃない。その他だなんて』 ぱどま34号より
平成10年12月10日

森嶋通夫という経済学者が、毎日新聞紙上で語っていた。
 かってのバブル経済について、
それは拝金とか金権といった思想がはびこり過ぎたということですか、との問いに答えて、
 「そうだが、ケタはずれの拝金思想だったね。
西洋には拝金思想の一方で、それを否定する思想、例えばキリスト教などがあるが、
日本はない。日本では教育がその役をすべきだが、その教育がだめだ」
 何という乱暴な決めつけ方だろう。
新聞記事には誤りが多いことは、自分自身や身の回りのことが記事になったことがある人なら
経験済みであろうし、森嶋氏の発言もそのままではなく、要約された結果かも知れないが、
とにかくこうした決めつけ方、論調が最近は酷すぎると思う。
一つは日本人には宗教心がないという決めつけ。
こう言っておけば、識者らしくて、とにかく間違いない、という風潮である。
 神社仏閣、各種宗教がこれほど存在し、活動していても、
有って無きが如くで、宗教心とは関係ないのだ、と言い切って、ケロッとしているのだ。
冗談じゃない、と言いたい。
 小学生の頃から、アンケート調査の度に、私は屈辱感を味わわされてきた。
親の職業欄に丸をつけようとするが、該当する項目が無いのである。
友達は、農業、公務員、会社員、サービス業とか、○をつけられる。
私は結局、「その他」に○をするしかない。
 そうなんだ。寺の住職というのは「その他」なんだ、
と無理矢理、納得させられて来た。
このことは牧師の子も、神主の子も同じ思いであったろう。
 これは敗戦後の占領政策以外の何ものでもない。
 社会での宗教一般の地位、価値を、とにかく貶(おとし)める反動的政策であった。
教育の場でも、それが五十年以上続けられれば、浸透するのも無理はない。
その結果が今日の状況ではないのか。
 再び冗談じゃない、と言いたい。宗教界は根本のところでは別にたいして変わっていない。
きちんとしているところは、常にきちんとしているし、
おかしなところはやはりおかしい。それだけのことだ。
メディアの論調が片寄っているだけだ。
 来る新世紀の仕事の手はじめとして、
宗教界は自らの地位を「その他」から「教育・宗教」にはっきりさせるよう社会に働きかけるべきだと思う。 
 自らも、その後継者も「教育・宗教」のところに○をするようになることこそ、
アメリカの占領政策の恐るべき日本精神骨抜き作戦から
脱却する第一歩としての象徴的運動だと思うが、いかが。
冨士玄峰
『1999年の筐』

今年1月18日、ポートピアホテルを会場にして、
全日本仏教青年会神戸大会が行われた。
 私は第3分科会『電脳・・・・仏教とマルチメディア』に参加した。
愛知県立大学教授の小栗宏次氏が講師で、今日の情報社会には迷いというものがあって、
それはマイクロソフト社が一手に救っているかに見える。
というよりも、気がついたら無理やり、いや応無く、マイクロソフト教の信者にさせられている、
と言える状況であるといった調子で始まった。
 講師の卓上にはノートパソコンがあ置かれ、プロジェクターに接続されており、
スクリーンにはキーを操作するに従って、資料が次々と映し出される。
 講師の手にはレーザーポインターがあり、赤い点がスクリーンの上を指し示す。
一般企業ではプレゼンテーションとやらで、きっと当たり前の風景であろう。 
 しかし、そのときの聴衆はほとんどが丸坊主の若い坊さんであった。
第三者が見れば、相当に異様な光景であったろうと思う。
 そのとき、私は全く思いがけず、昔の教理問答合戦を思い出した。
元享四年(1324年)の宗論で、私の所属する宗派に語り継がれている。
勝ち戦だったからであろう。負けたとされる方は黙して記録しない。
  『宗論はどちらが負けても釈迦の恥』、の名言の通りなのであるが、
時の権力者の覚えがめでたくなければ布教が出来なかった時代は、とにかく真剣勝負であった。
 宗門の存亡をかけての近親憎悪に似た論戦は、
時の権力者にとってこれほど刺激的なエンターテイメントは無かったのではないか。
 勝った方を褒めればいいのであるから、はなはだ無責任で気楽なものである。
 元享四年正月二十一日、二番手に出た三井寺の碩僧がうやうやしく一つの筐を携え出て、ズイッと面前に置いた。
 宗峰はそれを一瞥して『これはなんだ』と問うた。
 碩僧は『これは世界を収めた筐である』と答えた。
 聞くや否や、宗峰は手にした竹篦を振り上げると、筺を一撃の下に打ち砕いて言った。
 『乾坤打破の時如何』
 碩僧は茫然として、答えられなかった。
 いま、講師の前にあって開かれている黒く薄い筐体。
『これはなんだ』
『これはインターネットによって、世界を結ぶ筺である』
 一撃の下に打ち砕いてみたら、どうなるか。
 しかし、丈夫に出来ているのである。昔のきゃしゃな木製の塗りの筺ではない。
 講師は繰り返し強調した。『情報メディア、情報という切り口でいうと、何百年に一度という大変革。
産業革命以来のことがネットで起こっている』と。
 また、地域と地域が結びつき、小が大を呑む時代になるだろうと。
 一九九九年、茫然としているのはこちらの方である。

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