ナーランダの四倍規模の仏教遺跡、シルプールで発見
         タイムズ・オブ・インディア 2003年5月22日

  

 最近のインド考古学調査で、六世紀に逆上る素晴らしい彫刻を含む仏陀像が、
チャツティスガルの古代都市シルプールの地中に眠る仏教遺跡で発見され注目を
集めている。
 結跏趺坐の仏陀像は玄武岩でできており、高さ∵一メートル幅一メートル。他
にギリシャ的容貌を持つ右手を失った背の高い.婦人像、最初期パンチャタントラ
(古代インド民話集) を描写したもの、闘う野牛、一枚岩から造ったユニークな
空洞状の透かし彫り、装飾などが多数出土している。
 興味深いのは、これらの遺物は、七世紀の玄奘三蔵の大唐西域記に述べられて
いることと一致している。そのなかで彼はアショカ大王が建立した仏塔に言及し、
シルプールには少なくとも百の僧院と百五十の寺院があるといっている。インド
考古局担当者によれば、シルプールとその周辺には百六十四の築山があり、これ
までに発掘されたのはそのうちの十箇に過ぎず、調査の予測通りであれば、全体
の規模はナーランダの四倍はあるだろうという。発掘された十箇の築山には幾つ
もの僧院、尼僧院があり、それらは出土物を用いて原形に復元されるはずである。
ライプール市内から45キロ離れたマハーナディー河沿いに位置するシルプールは、
考古学の分野では建築学の宝庫として名高く、中でもラグシュマン寺院、ア
ーナンダ・プラプゥ、クティ僧院、スヴアスティカ僧院はよく知られている。遺
跡の大半は、バグワット、パンドゥヴアシユのパーラム・マヘシュワール、ター
タガタ (この地域特有の信仰対象?) にまつわるものである。
 シルプールの名が歴史に顔を見せるのは、プラヴアルラージとマヘスデオの二
人の王がシュリプールの領地を寄進したという言葉を刻んだシャラバプリーヤ王
朝の銅版銘文である。
 今回の新たな発見によって、シルプールは仏教遺跡の重要な観光地の一つにな
ることは間違いない。またこの発見は、誕生したてのチャッティスガル州の観光
産業を勢いづかせるにちがいない。
 チャツティスガル観光局長ジャティラク博士は“われわれはシルプールの発掘
結果に非常にエキサイトしている。この新たな仏教遺跡は観光の目玉になること
は聞違いなく、シルプールはその意味でも重要な拠点となるだろう”と語った。
“また文化遺産的観光地の伸展、保存のために国際的基金を募集する計画を立て
ている”と記者に語った。
 シルプールの発掘作業は、A・K・シャルマ氏の指揮で進められており、今期、二番目
に大きい僧院発掘はほぼ完了し、西方に向いた本堂に座す大きな仏陀像をはじめ、
数多くの遺物が続々と出現している。五月十四日にシルプールに到着した
A・ジャヤティラク博士とスターテレビ局員である私はその発掘に立ち会う栄誉に浴した。
 仏像は高さ1.1メートル、幅(光背を除く)1メートル、結跏趺坐の姿ですずやかなお貌であった。
玄武岩製で後頭部に美しく飾られた光背、パーラタ(イン ド古代名)最大の息子のひとりである仏陀は
二頭の獅子が彫られた台座に坐し、 左右に菩薩を従えておられる。また他に二つの像・・
一つは宝生如来、蓮華手菩薩 (観音菩薩の別名)が発見されている。更に竜王、竜女像も配置されている。
元々 縦横二十二メートルの僧院は、これまでシルプールで発掘されたものの中で最も 美しく装飾されている。
 シャルマ氏は、僧院入口は豊穣を象徴する男女交歓像(吉祥像)、パンチャタン トラ(古代民話集)彫刻、
キルティ・ムカ(吉祥文様の獅子頭怪獣)の口、ある いは宝瓶から吐き出される蔓状模様で
飾られたジャーリ(一枚岩をくり抜いて空 洞の円筒状にした透し彫りにした彫刻)などで美しく飾られている、
と記者に説 明してくれた。次に動物を描いた装飾は非常に印象的である。
僧院中央の十六本 の柱が並ぶ本殿は幅一・五メートルの回廊で囲まれている。
僧院の南北の部屋は回 廊から入れる。八面体の柱は、総てジャータカ物語、四方を囲める象、
二方向を 向いた単体の獅子、象の背に乗っている獅子、アルダチャクラ(装飾文様の一つ?)、
アルダチャクラ(装飾文様の一つ?)、 花模様などで飾られている。 後期の部屋の扉の台座は、
僧院が後から仏教寺院に作り変えられたことを物語って いる。
南側の幾つもの部屋はそれぞれ入り口を作って僧の個室にしていたらしい。
また、後で付け加えられた階段は僧院を拡張し、二階建てにしたことを示唆している。
つまりヒンズー教の影響で、寺院は居住地域と区別されたようである。
たくさんのブラフミー碑文は焼粘土印章と共に僧院から移された。
これらの 印章の解読は専門家の手によることになろう。
シヤルマ氏によればこれらの文字はシヤラバプリーヤ(古代シルプール王朝名) 時代か、
もしかしたら玄奨三蔵以前にまで逆上るかもしれないという。
その当時 シルプールは南コーサラ国の首都として栄え、
何千人という学生僧を抱えるたく さんの僧院、ヒンズ−寺院、ジャイナ僧院を擁していた。  
五世紀から八世紀にかけてシルプールはナーランダを遥かに凌駕する一大学術の
中心であったとしても何ら不思議はない。今後の考古学者の調査が待たれるとこ ろである。  
男女の交歓図、エロチックな彫刻について後程、詳しく話すとのことである。  
ともあれ、最も新しく発掘された仏陀像で、チャッティスガル市民は仏陀誕生 祭を祝いたいものである。
シルプールは再びかつての栄光を取り戻そうとしている。
チャッティスガル州政府 もこれを機に新州都ライプールから僅か四五キロの
この天与の観光遺跡を発展させ ていって欲しい。
マンセル並びシルプールの一大発掘作業の成果は、
マンセル、 シルプール記念協会委員長アーリヤ・ナーガルジュナ秀嶺佐々井師と
その組織の 人びとのお蔭である。     
セントラル・クロニクル・ライプール紙 2003年5月16日                        



         シルプールの華麗な出土品の数々

 
     


 この記事はニユーデリーの5月22日の新聞に出たもの。タイムズ・オブ・イ
ンディア紙、インディマドルダルシャンTV、スターTV、アジカルTV、エジアンTVの
四大TVによって全インド、外国にも報道され、インドを沸かせています。
 チャッティスガル州首相A・ジョギー氏は私達協会のこの大発掘の成功をみて、
シルプールを一大観光地にするマスタープランを作り、国際仏教センターにする
と発表しました。中央政府もこれを承認しました。日本の皆さまの今後のご支援
を心より期待しております。
2003年6月
    佐々井秀嶺