カルナタカ州の村に
三体目のレプリカ
転法輪の釈尊像を
「ナーガ・プロジェクト」=釈尊像寄進運動
写真の釈尊像については92年、佐々井上人がブダガヤ大菩提寺管理権奪還闘争を展開し、
ムンバイからブダガヤまでの4,500キロの大行進を行ったとき、
私が仏像彫刻で師事していた山高龍雲師の工房で、運動支援の発願のため彫らせていただくということで、
2尺の転法輪印の釈尊座像の鑿入れ式を行い、
私の地元の神戸新聞に「インドの仏教徒とその指導者、日本人僧佐々井師への友情の仏像をプレゼント」と取り上げられ、
同時に大塔問題も記事となった。
2年かけてを彫り上げ、金箔仕上げにしたが、
そのままインドに差しあげれば、また新たに2年かけて彫らねばならない。
考えた末、FRP(繊維強化プラスチック)でレプリカを作ることを思いつき、
一体目は乞われて神戸の友人の寺の本尊として、
2体目は98年に佐々井上人にお願いし、
仏教に改宗したという元ダコイット(盗賊団)のチャンバル渓谷のある村のお寺に差し上げた。
各地に供養をしたい
今回が3体目である。
千百億化身釈迦牟尼仏いうくらいであるから、これからも可能な限りレプリカ(化身仏)を制作し、
インド各地の仏教徒が建設していくお寺に供養したいと願っている。
 三体目が安置されたところは、カルナタカ州フムナバード郡マンニャケリ村の住民400人ほどのブッダ・ビハール(お寺)。
八角形のドームのような本堂に大きな台座ができており、そこに安置した。
踊る若者進まぬ行進
仏像台車に奉安式へ

あらかじめバンガロールのボディー師最大の支援者アウディさん宅へ郵送しておいたのだが、
バンガロール税関に留めおかれていた。何か問題があるとのこと。
急いで税関長あての説明書をしたため、ボディー師が英訳してファクスで送った結果、ようやく税金を払って受け取ることができた。
車に積むために持ち上げてみると、日本では何事もなかったのに、中でコロコロと何かが転がる音がしている。
なるほど、道理で中に何か入れていないかと厳しく疑われたはずである。
おそらく接着剤のしずくの固まりか何かが、輸送のショックで取れたものであろう。
説明書には誓って何も入れておりませんと正直に書いたつもりが、よくぞ了解してくれたものと思う。
9月8日、バンガロールから小雨の中を、ハイデラバードへ出発。距離にしておよそ555キロ。
夜10時ごろにハイデラバードの手前のリザーブバンクのコロニーに住むアンドラ・プラデシュ州の仏教徒連盟の事務総長ハリナート氏宅を訪ね、
団地の屋上の集会所に泊めてもらう。
翌朝、そこから80キロ走り、マンヤケリ町での仏像奉安式に臨んだ。
仏像はトラクターの引く台車に、バナナや芭蕉の木をそのまま切り倒してくくりつけ、まさに野趣にあふれた山車である。
バナナの木を飾った山車に仏像を載せてお練りが行く
いきなり爆音が轟き、度肝を抜かれた。何発も花火が打ち上げられ、ゲストハウスをお練りの行列が出発するときは、ゲートで爆竹が点火された。
1.5キロほどを行進する。行列の先頭には激しいドラミングとトランペット。
トラックのホイールキャップとしか見えない4発の大きなスピーカーを取り付けた自走式の人間ジュークボックスが続く。
耳がしびれるような大音量でテープを流し、左手でハンドルを持ち、右手でエレキ・ハルモニアのキーボードを弾く。
若者たちが、酔った目をギラギラさせながら踊りまくる。
ブレークダンスのようでもなく、ただ激しく両手両足を振り回して踊る。
後進の進むもうとすると、身体で阻止して曲の番号をリクエストする。自走式ジュークボックス。運転しながらキーボードを演奏する。

こうしたことが習慣なのか、大変な交通渋滞を引き起こしているのに、両側をガードする警官たちは一切、干渉しないのだ。
だから行列は遅々として進まない。
地元の比丘、ダンマナンダ掛け合いに行くが相手にされない。
坊さんが行ったので、リーダーの1人が責任を感じて、踊り狂う若者たちに強く言ったところつかみ合いのけんかになりかけた。
汗だくの興奮収まらぬ彼の背中をそっと撫でて、まあ、押さえて、押さえてとなだめた。
踊りの群れの中に一人端正な顔立ちながら目つき鋭く挑戦的に踊りまくっている男がいる。
相当酔いが回っているようで、仲間に倒れこむようになりながらも、しつこくけしかけている。
こいつが一番悪いやつだなあ、と思って見ていた。
遅々として進まなかったが、ひとしきり踊り狂って、ようやく疲れてきたのか、
勢いが落ちたなというときに、すかさず行列はスピードを上げてお寺の入り口にたどり着いた。
土下座で礼拝
「なかなかいい奴」
やはり大きな芭蕉を裂いたようにして飾りつけた歓迎アーチがある。
そこをくぐろうととしたとき、突然、あの一番目付き鋭く踊り狂っていた若者が、
われわれの前に来ると、足に頭をつけて、つまり土下座をして礼拝したのである。
ボディー師もとっさのことで思わず日本語で「やあ、よう頑張ったね」と言ったほどである。
やはりお祭りにはこうした理屈を超えたエネルギーの爆発が必要なのだと、
先程までの腹立ちはどこへやら、「なかなかいい奴じゃないか」ところりと評価が変わってしまった。
しかしそうした感慨にふける間もなく、そこへ婦人がやってきて、作法通り、
われわれ、二人の足元にたっぷりと水を注いで足を洗う。
そのために地面がドロドロになって、後に続く皆の足元が汚れるのだが、それにはおかまいなしである。

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