核燃料、廃棄物、汚染水再処理で高濃度化したヘドロ等を
無害に出来る技術、安全な処理法が確立出来るまでは、原発を稼動させてはならない。


2011年(平成23年3月11日)の東日本大震災と津波による福島第一原発の大事故は
かつて明泉寺の本堂の西側外壁に取り付けられ、阪神大震災の際、烈しい揺れから本堂を護ってくれた
巨大な壁画のことを思い出させた。残念ながら壁画は私の手で解体するしかなかった。
 1987年と言えば14年前である。その当時、画家の武内ヒロクニさんと山門の横の小屋で話しながら、
巨大な水棺の底に翼を垂れたまま眠る火の鳥ガルーダの絵を描いた。
その水棺の上に燃やしすぎる文明を封印するように祀られているのは龍尊仏であった。
九頭龍(ナーガ)が龍蓋を広げ釈尊を守護しているのが、小生の思い描く理想の仏壇であった。
 いまや福島第一原発は1号から4号まですべて水棺に封印し、
冷やし続けるしか選ぶ道は無いように見える。
 また、事故の際のヨード剤の配布の問題についても、そのころから周囲に発言していた。
大方の反応は「また変なことを急に言い出したな」というものだった。
 反原発のオピニオンリーダーだった福井県の高校の先輩住職や九州の寺庭婦人もいつの頃からか、
ピタリと発信をやめてしまわれた。おそらくはさまざまな圧力がかけられたことは想像に難くない。
いまこそ、燃やし過ぎる文明が常・楽・我・浄であり幸せと豊かさをもたらすという安全神話の顛倒に目覚め、
厭離して(般若心経)、水と土の文明を再構築しなければならないと思う。



『火の鳥ガルーダと青い地球のナーガ』

 本堂の西側の外壁に、武内博洲(ヒロクニ)さんに半年がかりで壁画を描いてもらった。
タイトルを考え、板に刻んで掲げた。
曰く「火の鳥ガルーダは眠り、大地のナーガが甦える」
 ごらんになった方は一様に首をひねっておられる。無理もない。
 ガルーダはインドの神話上の神鷲で、金翅鳥王(こんじちょうおう)ともいい、
不死鳥フェニックスに通じ、火の象徴である。
 そのガルーダは水と土、即ち大地の象徴であるナーガ(竜蛇)を常に襲い食べてしまう。
それは宿命なのだけれど、仏法に帰依し、袈裟(けさ)の切れ端しを身につけているナーガだけは、
ガルーダから逃れることができるという。
 人類は今日、巨大科学文明を手にしているが、それは一言でいえば「燃やす文明」
いや、今では燃やしすぎる文明となっている。地球規模で生態系がバランスを失い、破壊が進んでいる。
 一度、ぜひ岩波新書、高木仁三郎著「プルトニウムの恐怖」を読んでごらんになるといい。
いまや島国日本は原発列島になりつつある。
いかに安全性をPRしようとも、これまで世界各国で発生した重大事故は
取り返しのつかない放射能汚染と生態系の、つまり生命への長く続く破壊力を残している。
しかも「信じられないような人為ミス」が原因である。
その上に天災、故意のミス、故意の攻撃がないという保障は絶対にない。
 「巨大科学技術は、その全体のシステムが巨大化すればするほど、
実際にはその個々の側面にかかわる科学技術者、管理者、労働者、行政者を
細分化した専門家に仕立て上げる。
それらの人びとは、問題の細部にのみ通じ、全体のシステムに対しては、
ほぼ無前提で忠誠を誓うように仕立てあげられるだろう。
そうしない限り、高度の専門性を必要とする無数の部分からなりたつシステム
を支えられないからである。しかし、そのことは、ひとりひとりの人間の人間
としての全体を次第に部分化させ、単一の機能にのみ忠実な人間を生みだして
いくのではないだろうか」
 原子炉技術は三つの点で反自然的、反社会的である。
一、閉鎖的なシステムであること。
二、誤りの許されなさ。
三、近づき難さ。
 以上の点からプルトニウム社会はエネルギーとひきかえに極端に管理される国家を前提とするようになる。
スパイ防止法、国民総背番号制、全国民指紋押捺等々、これらは予想される成り行きである。
高度な情報化社会がいったいどういうものなのか、我々は充分まだ分かっていない。
眼の届かぬ空の高みからは、大国の宇宙兵器が、いつでも地上の目標を正確に攻撃破壊できるよう飛び続ける。
 まさに火の鳥ガルーダの跳梁ではないか。
 素人の取り越し苦労と笑われるかも知れないが、燃やしすぎる文明からの転換を考え、
実行に移すべき折り返し点は切迫しているのではないか。
折り返す時を失えば、生命体としての青い地球は死んでいくのではないか。
そこまで警告を発している学者もいるのである。
 火の鳥ガルーダはしばし眠りにつかなければならない。
 ナーガは本来、森と湖の住人である。ナーガは脱皮することによって生き続ける。
 チベットのラマ仏教の密教壁画には、ナーガを貪り食うガルーダと
蓮の花咲く湖や岸辺に、他の動物たちと仲良く暮らしている半蛇人ナーガたちが描かれている。
 宗教の使命は人々が安心立命を図り、魂の向上を実現することにあると思うが、
現代社会の中にあって、個人の依って立つところの人間的な基盤、尊厳が、
社会的、国家的に歪むのを等閑視しているわけにはいかないと思う。
いまはまだ、ナーガ的な生き方をする社会とは具体的にどういうものかを提示する
ことはできないが、そこは仏法による生命観、自然観に導かれていることは疑いない。
 「問題は、我々の生の充足感なのであって.そればエネルギー消費の大きさ
の中にではなく、『水と土に根ざした文化』の中に存在するだろう。言い方を変
えれば、自然のサイクルの原理に即して『生物としての幸福』を追求すること
が、唯一可能な生存の方向だというものだろう」
 我々仏教徒が『生物としての幸福』について言うならば『仏に成る』ことに
その生存の意義の最高価値を置くものである。人間としての身を受けて仏法を
聞き、魂の向上を決意して歩み始め、生まれかわり死にかわり、成仏への道を
歩む人々こそガルーダを恐れることなき、真のナーガと成るでありましょう。
ナーガは雄々しく甦らなければなりません。.........というようなことを訴
えたい壁画なのであります。一度見に来て下さい。(一九八七・四)

(注記)一九九五年十一月十五日(水)の毎日新聞によると、一九九一年にドイ
ツが五六〇〇億円かけて建設した高速増殖炉を危険として計画を放棄、売り
に出され、オランダの業者が購入し、リゾートパークに変身すると言う。