山際素男様、
前略、
 御著書『破天』をお送りくださいましてありがとうございました。
本をいただいたら、読んだ上で、礼状を書くのが礼儀だと思い込んでいる私の”原則”に忠実に従ったおかげで、
結局、礼状を書くのは今日になってしまいました。
2,000年の12月に送っていただいた御本の令状を、世紀をまたいで2,001年の2月に
ようやく書いているなんて、なんとも失礼な話ですよね。どうも、すみません。
 本をいただいてすぐに読みはじめ、ほとんど読んでいたのですが、
最後の数十ページを残して一カ月以上の中断を経て、先ほど読了したところです。
12月から1月にかけて身の回りにいろいろなことがあって、一気に読了できたなかったのです。
”言い訳”のような文章も、ついでに同封させていただきますが、
この文章で触れている「岡崎の友人」とは、ナグプールでコンサートを開いたあの関本文靖です。
 彼が手術後、退院して自宅で療養しているところに、
この「破天」を一冊買って土産に持参したら、とても喜んでおりました。
佐々井さんのことを書いた本を読むだけで、エネルギーがもらえるよ!」と。
関本氏にとっても、佐々井秀嶺師は、特別な意味を持つ存在だからです。
ともあれ、いまは、彼のガンの進行が遅れ、あわよくば消えてくれることを願っています。
結局は、なるようになる、なるようにしかならないことではありますが・・・・。
 
 「破天」の最初のあたり、佐々井師の少年期、青年期をめぐる物語は、
本当に興味深く、夢中で読みました。インドという、日本とはまったくスケールの違う大地に
行かざるをえない・・・・日本社会の小さな枠の中には、収まり切らない・・・・佐々井実という人の
”度し難さ”が、よく描かれていると思いました。
 既成のスケール・間尺では、どうにも計りきれない”難儀な人”が、その人生の出発点から、
すでに”過剰”を孕み、あらゆる枠組みから次々とはみ出ていってしまうプロセスが、
手に取るように分かるのです。本当に、自意識過剰も、ここまで度が過ぎると、
既に人間の枠を超えて、妖怪か菩薩に化身するしかないんやろなあ・・・・・・と思われるのです。
 私は、この「破天」という作品を成立させた秘密は、山際さんが、
佐々井秀嶺という人物との間に、見出すことが出来た”絶妙な距離感覚”にあると思っています。
佐々井実という人物を描いていく中で散見される筆者のコメントの、
なんとも不思議な位置取り・スタンス!親愛と敬愛を湛えつつ、
根本には鋭い批評性、批判精神を孕ませている眼差し、とでも言えばいいのでしょうか。
 この筆者のスタンスを見いだせなかったとしたら、
この佐々井秀嶺伝は読むに耐えないシロモノになっていたはずです。
佐々井師の垂れ流しのような告白や手紙の冗長な渦に巻き込まれたら、
それを読む者は鼻白むばかりになってしまいますからね。
さすがに山際さんは、そのへんは”作家”ととしての計算をしつくして、
細心の手つきで描き始め、描き続け、ついに描き切ったのだなぁ、と感心してしまいました。
 偉そうな作品評などできる柄ではないので、もうやめますが、
「とにかく変わった人物を描いたオモロイ作品だからぜひ読んでごらんよ」
と多くの人々に紹介したいと思います。
 「破天」全編の中で、やはり一番心に残ったのは
今日読んだ最終章「秀嶺を取り巻く群像」です。佐々井師が、どんな人物、どんな仏教僧であるかは、
彼を取り巻き、彼に支えられ、彼を支えている人々の「語り」の中にこそ、
その本質がはっきりと出ているからです。
 今、日本に来ているナーガ・ボディー師や、ボディー・ダルマ師が
「佐々井秀嶺との出会い」について熱っぽく語る生々しい肉声に出会いえた私には、
この最終章で語られている人々の言葉のリアリティーが、よくわかります。
まさに彼らによって、そのように愛されどのように仰がれるものとして”
佐々井秀嶺師”は存在しているのです。「マハー・カショー、アニール・パテル」の項、
特にP427は涙なしでは読めませんでした。
ここには本当にブッダに出会い、ブッダを仰いでいる人々同士の出会い
(=僧伽)が現存する!と思います。
 山際さんも書き記している通り、佐々井秀嶺という一人の仏教僧が身命を投げ出して、
まいた仏法の種は、インドの大地の中で、やがて花開いていくでしょう。
世界中に無数の仏教者が生まれ、生き切り、死に切ったことこそが、
仏法を今日まで活き活きと伝えてきたように、”仏教者、ササイシュウレイ”の生涯は、
20世紀から21世紀にかけての仏法の生きた歴史として、多くの仏教者を生み出し続け、
これからも無数の人々の魂の中に息づく”仏性”を揺り動かし続けるでしょう。
そう確信しております。
 私の友人が最近出版した「歎異抄」についての本を同封させていただきます。
ここにも、生きた仏法が語られていますし「ササイシュウレイとそれを取り巻くインド仏教徒」という存在が
「親鸞とそれを取り巻く関東の念仏者」という存在の、まさに”反復”であることが感受できると思います。
ぜひご一読ください
 2001年2月6日 愛知県岡崎市 正覚寺  林  信暁 合掌