龍(ナーガ)とは抑圧された仏性である
ーーーナーガは人たるべし、人は仏たるべしーーー
                    山際素男著「破天」
を読んで

インドにいて、夜空を仰ぐと、いくつもの人工衛星の航跡をはっきりと見ることができる。
そんな時代に生身のナーガラージャ(龍王)が存在すると言ったら、人は信じるだろうか。
 ある時、外出先からインドラの寺に戻ると、部屋には十五人ほどの女性が土間に座っていた。
佐々井上人は、椅子の上に座を組んでインド式の巨大な冷風扇の強烈な風を
袈裟を脱いだ裸の上半身にまともに吹きつけている。
常人ならたちまち貧血を起こすほどのすごい風でも平気なのがこれまたすごい。
そして前日の佐々井上人誕生日祝賀パレードでジープの上でスコールに何度も濡れて、風に当たったので、
微熱があるというむくんだ顔に笑みを浮かべ、小柄な女性たちを見回して、
そのとき大きな声で言ったのだ。
「おおー、私の娘たちよ!」
日本語であった。
 稲作をするというバンダラ地区から来た龍女たちを前に、龍王さまはごきげんうるわしかった。
小生はそのときゾクリとした。
私は生身の龍王を観たのだ。
それ以来、自坊では、伝統的な九大龍王(八大龍王と善女龍王)に加え、
ササイ龍王と称えることにしている。
経典の中だけではなく、神話的存在としてでもなく、
二十世紀のインドに龍種族の王として、一族を率いて、
「ナーガは人たるべし」という、往昔のブラーミン化した、仏教僧団の掟を、
逆に解放復権の意味で、実現させるべく、出現されたのがアンベードカル菩薩であった。
そして、その後継者となっているのが、他に誰あろう、日本人僧佐々井秀嶺師である。 
龍種尊王如来の系譜に列なるナーガラージャの一人として、今やナグプール(竜宮)の法城を中心として、
あまたの眷属と共に、五天竺の大地を睥睨しておられる。
 美しい仏教旗をはためかせたジープに同乗して、デカンを疾走するとき、
インド亜大陸最中央位、ナグプールの占める重要な意味がよくわかる。
 なぜ、一人の日本人が僧侶となり、インドに渡り、
龍王の境涯にまで、到達したかを知るには「破天」を読んでもらうしかない。
 「破天」冒頭、インドの核実験に対し、直ちにニューデリー国会議事堂の前で大音声に、
堂々と、日本人僧、また、インド僧アーリア・ナーガアルジュンとして、
「バジパイ首相の大馬鹿もの!ここへ、でませい!」と、
大国インドの首相を叱りとばしておられる。
こんな痛快なことがあるだろうか。
 空前絶後の直諫である。
 かってパスワン鉄道大臣が職権によって、与えることの出来る
「一等車全インド無料パス」を上人に授与したことがある。
 私が「どうしてお上人にくれたんですか」と尋ねると、
即座に、破願一笑、「政府に反対しているからですよ」という答えに、
つられて大笑いになったことがあった。
 下層出身の大臣や政治家たちは、職権を大いに活用して、
抑圧されてきた同胞を応援するのである。
そうした、政治状況を実にわかりやすく、解き明かしてくれるのも、
「不可触民」「不可触民の道」以来の、山際先生の著作の大きな魅力でもある。
「破天」刊行を首を長くして待っていた全国のナグプール体験者の人たちは、
「破天」を一読して、みな、それぞれに改めて、龍王と成り化した、
一人の破天荒な日本人僧との出会いの不思議さを想い、感動を新たにしているところであろう。
 今、心配することは「破天」の読者の中から、
次々とナグプールを目指す人があらわれるだろうということである。
実際に、仏教徒民衆と接し、お上人の灰頭土面の活動に、
一時でもご一緒できることは、非常に魅力的なことなのだが。
 また、お上人はほんとうに気配りの人だから、ていねいに相手をしてくださるだろうけれども、
インドの歴史、カースト制度、仏教、アンベードカル博士のことを、ろくに勉強もしないで、
調子よくでかけていくと、早晩、龍王様の逆鱗に触れて、その瘴気に当てられることになる。
そのときの恐ろしさも、十分、覚悟しておかなければいけない。
かくいう私も、龍王様の命がけの活動からくる厳しさの瘴気に当たって、
帰国後、数日間、うなされて、げっそりと痩せることがある。
 まず、勇気のある方が、しっかりと下勉強をした上で、
竜宮に飛び込んで、竜顔を拝し、髭に触れて見て、
活気のある仏教徒民衆と交流することは、得難い体験となるでしょう。
竜宮城はそういうところなのです。
 一方、いまでも、ガンディーは釈尊の再来だなどと言っているY先生や、
アッサムやベンガル以外に、インドには仏教は存在しない、
アンベードカル仏教は仏教ではないと言っていたN先生。
権威という板を担いでいるので、世の半分しか見えていないようです。
世人に間違った情報を流してきた、その罪は、
高名な方々だけに、影響力が大きい分、重いと言えるでしょう。
 また、ちっぽけな利害、宗派根性から、無視する姿勢を取り続けている関係者も多い。
しかし、この「破天」は一挙に、日本仏教界にはびこる偏見、無視作戦勢力を照破して、
国民の多くに、現代インドの仏教復興運動の実相を伝え、
わけても日本仏教界の心ある人々を奮い起たせる、
破邪顕正の働きを持つ希有なる一書であると思う。
                              ナグプール同友会世話人
                              臨済宗南禅寺派明泉寺住職
                                               冨士 玄峰
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