大改宗の翌日、演説するアンベードカル博士
アンベードカルはこのように語った。第二巻より

『改宗式翌日の演説』
一九五六年十月十五日


仏教徒の同朋であり、兄弟であるみなさん、
私はロード・ブッダの教法を復活させ、普及させるという大いなる仕事の途方もない責任を果たすには、
どうすべきかという重要な問題について、私の考えを表明したいと思います。
皆さんのすべてがご承知のように、改宗式が昨日催されました。
昨日、この場所で巨大なスケールで営まれた改宗式の重要な意味を子細に検討することは、
思慮深い人々にとって、難しい作業でした。
我々の友人の幾人かは、このスピーチを式の後よりもむしろ式に先立って行うべきではないかと提案しました。
確実にもつれた重要な物事と取り組む場合には、論理的な道理はいつも支持されません。
論理の法則と同様、先見を覆す歴史の力が、この順序に対する責任を負うのです。
さて、多くの人の心を占めている第一の疑問は、
なぜ集合地の選択がナグプールに落ち着いたのかということです。
ある人々はこの市がRSS活動の中心であるので、私がこの地を故意に選んだのだし、
また私が彼らの目の前で何かめざましい正義を行うことを望んだのだと思っている。
実はそれは本当ではありません。
私はいかなるそのような動機も持ってはいません。
私は相手がだれであれ、彼の鼻先をひっかいてイライラさせたり、怒らせたりすることは望まないし、
ましてこういった子供じみた悪戯のためのいかなる時間も有してはいません。
ある人々は私が改宗式のために、この地とこの時を選んだ別の理由は、
同じ日の同じ時期にラシュトリヤ・スワヤム・サンガがナグプールで集会を行っているからだと思っています。
この儀式は、顕著な対照に置くことを意図していたのだと。
もちろんそれは違います。
どうして我々はわざわざRSSに因縁をつけなければならないのですか。
我々はそんなことをしている暇がないし、ましてやRSSはその名誉に値しない。
私が自分の肩に担った大きな仕事が非常に重要なので、事態の一刻一刻が私にとって貴重になった。
この歴史的儀式のために、この地を選んだとき、私はRSSがなんであるかを少しも考えに入れなかった。
この町ナグプールは全く異なった理由から選ばれた。
インドの仏教徒の歴史を学んだ人々は、ブッダの宗教の宣布に初めに働いた人々がナーガであることを知っている。
ナーガは非アーリアンであり、そこにはアーリアンとナーガの間の激しい敵意があった。
多くの戦いがアーリアンと非アーリアンの間で戦われた。
アーリアンはナーガを完全に絶滅することを望んだ。
この関係についてプラーナ(註、プラーナは元来「古き伝説、物語」を意味し、
古来十八のプラーナが有名)に見られる多くの伝説がある。
アーリアンはナーガを焼き尽くした。
聖仙(リシ)アガスチヤが一人のナーガを救った。
そして我々はそのナーガの子孫だとされている。
ナーガはアーリアンによって圧迫され抑圧された。
彼らは彼らを解放してくれる偉大な人を必要とした。
そして彼らはその偉大な人をロード・ブッダその人に見いだした。
バグワン・ブッダは彼らを衰微と消滅から救った。
ブッダの教えを世界中に広めたのはナーガであった。
これらの人々は圧倒的にナグプールの住民であった。
この町の土地を貫いてナーグと呼ばれる一つの河が流れている。
このことはこの河の流域にナーガが生活していたことを示している。
これがこの偉大な機会のために、ナグプールを選んだ主な理由だ。
他の理由はない。改宗式を行うために、この町を選んだことで、どんな誤解も生じる必要はない。
この道を選んだことで、私は数々の冷たい批判の的となった。
あるものは非常に痛烈であり、あるものは雑駁であった。
ある人はわが踏みにじられた非常に貧しい信従者たちの道を誤らせるとして私を告発した。
彼らによれば私が選んだ道は、彼らから現在彼らが享受している利益や特権を奪うことになるだろうから、と。
ある人々は断言する。”たとえ私が彼らを開放しようとしても、アンタッチャブルは相変わらずアンタッチャブルであるだろう”と。
多くはほのめかした。
我々の方としては、これまで我々の境遇を改善するために辿ってきた道から離れ去ることは、賢明ではないだろうと。
こういった類いの有害な発言は、スケジュールド・カーストに属している老いた人々と同様、
若い人々の心に疑いと恐れを生じさせるようなものだ。
それゆえ、私はこの問いに答えなければならない。
疑いと恐れを取り除くことは、必ずや我々の運動を強化するに違いない。
私はこの質問について多くのことを申し上げたい。
我々が経済的に弱いまま、背後に取り残されてしまうだろうと語る人々は、
街路掃除や皮剥ぎや、皮なめしのような軽べつしうる職業について、心配なのだ。
これらの反対は動物の死体を始末することに関している。
マハールやチャマールは水牛や牛の死体を始末することをやめる。
マハールやチャマールは腐肉を食べない、というのが私によって提唱されたスローガンだった。
約三十年前に私はこの運動を始めた。
このことがどういうわけか、大いにわれらがヒンドゥーの友人たちの気にさわったのだ。
私は彼らに尋ねた。
”あなた方は牛や水牛からミルクを得る。
そしてそれらが死ねばあなた方は我々に死体を始末することを望む。
どうしてなのか?”
”あなた方が母親の死体を火葬にするために、担いでいくのならば、
どうして自分であなたの母牛の死体を運んでいかないのか?”と。
私がこの質問をヒンドゥーの人々にすると、彼らはいらだった。
私は彼らに言った。”もしあなたがたが、我々にあなた方の母親の死体を運ばせるのなら、
我々はさぞかし喜んであなた方の牛や水牛の死体も同様に運ぶであろう。”と。
バラモンや他のヒンドゥーの通信員によって書かれた多くの投書が
「ケーサリー」(註、会議派左派の指導者、ロカマニヤ・ティラクが発刊した新聞)で公けにされた。
そのような手紙のあるものは、もし、アンタッチャブルたちが、動物の死体の始末をやめたならば、
彼らは非常な財政的損失を被るに違いないだろう。ということを証明しようと試みていた。
彼は彼の議論を弁護するのに、統計的データを提示することによって、ポイントを稼いだ。
彼に従えば動物の死体を始末したすべてのチャマールは、
死んだ牛の皮革、角、歯、蹄、骨の売り上げから、年間500ルピーから600ルピー稼ぐ。
彼は私がこの習慣に反対して、説教することによって、
彼らの生計からそれらを奪い去ろうとしているとして、私を告発した。
私の人々は私がどこへ彼らを導いていくかを知らなかったために、板挟みになっていた。
かって私はたまたまサングマネルを訪ねた。ーーーペルガラム郡の一テーシルであるが、
「ケーサリー」に発表されたそれらの手紙の筆者は私に会い、そして同じ質問を繰り返した。
私は彼に言った。私はいつかこの質問に答えましょう、と。
それから私はこの質問に、公の席でこのように答えた。
”私の人々は食べるに十分な食料を持っていない。
女たちは体を覆う布切れさえ持っていない。
雨露をしのぐにも彼らの頭上を覆う屋根さえない。
穀物を作る土地さえない。
だから彼らは踏みにじられ非常に貧しいのだ。
彼らは抑圧されており、搾取されている。
その理由はあなた方は知っているか?”
会衆の間からは何の返答もなかった。
「ケーサリー」にそれらの手紙を書いた人物でさえ答えなかった。
そこで私は彼らに言った。
”あなた方は我々のことをほっておいてくれた方がいいのだ。
善良なるみなさん、我々は全く自分たちで考えることができるのです。
もしあなた方がそれほど我々の損失について心配してくださるのならば、
なぜ、あなた方の友人や身内を部落に住まわせるためによこさないのか。
そして年間500ルピーを稼ぎ出すために、
動物の死体を引きずるこの汚い仕事をしないのか。
さらにその総額に加えて、私が私の懐から500ルピー支払おう。
彼らは二倍得るだろう。どうしてこの好機を逃すのか。
まことに我々は損失を被るだろうが、あなた方は儲ける立場なのだ。"
不運なことに、だれもその賞金を今までに請求にやってきた者はいない。
一体全体、なぜ彼らは我々が良くなるのを見ると、心穏やかでないのだろう。
”私は私の人々を食べものや、衣類や家や、他の彼らがいるもので世話することができる。
あなた方ヒンドゥーはそれらのものを心配してくれる必要はない。
我々がこの汚い仕事をすれば、それは有益だといい、
あなた方がそれをすれば不利益ということになる。
おかしな論理ではありませんか?”
同じように、ある人々はいう。”国会における数議席をあなた方のために確保してきた今、
どうしてあなた方はそれを失おうとするのか。
”私は彼らに言った。”我々は喜んであなた方のために、それらの議席を明け渡すたすのだと。
ブラーミンやラージュプートや他のカースト・ヒンドゥーの人々がやってきて
チャマールやスイーパー(掃除人足)やマハールになることによって、
それらの議席を埋めて、この好機を利用させなさい。”と。
どうして彼らが我々の損失を嘆き悲しむ必要があろうか。
自尊心は物質的な利益よりも大切なのだ。
我々の闘いは名誉と自尊のためであって、ただ経済的な発展だけのためではない。
ボンベイに売春婦たちが住んでいる地区がある。
肉体で取引をするこれらの女たちは、朝八時に起きると、
モハラーにある安レストランで働いているモスレムの少年を呼んだ。
”おい、スルマン。おい、スルマン。”彼女たちは叫んだ。
”ケーマ(ミンチ肉のカレー)とロティー(パン)をくれ。”
彼女たちはケーマとロティーにそれにチャイを毎日取った。
さて、我々の女たちはケーマ、ロティーを食べなかった。
ここにいる女たちの多くは、毎日、食事らしい食事さえ取れない。
彼女らは普通のロティーとチャトニーで満足しなければならない。
彼女らもまた、もしそのように望むなら、金を得られるし、醜悪と罪悪の生活を送ることができる。
しかし彼女たちは名誉と尊厳と自尊の方をより大切にする。
これこそ我々がそのために闘うところのもの、名誉と自尊心なのだ。
ひとりの人間にとって、誇りある生活を送ることは、彼の生得の権利だ。
この目的を達成するために、我々は全力を尽くさなければならない。
我々はこれを達成するために、最大の犠牲を払うことを覚悟している。
我々は今までヒンドゥーが我々に拒んできた人間の尊厳のために戦っている。
我々は我々の生活をできるだけ、豊かに有益なものにすることを望む

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