「ブダガヤの大菩提寺管理権の問題」

―聖地の管理を仏教徒に移管するよう世界にアッピールしようー

 インドビハール州のブダガヤは、二五〇〇年余の昔、シッダールタ・ゴータマ太子が最高の悟りに到達し、ブッダとなられた所、すなわち成道を記念する一大聖地であることは仏教徒のみならず世界の多くの人々の知るところである。
 現在の大塔寺院は、アショーカ王によって紀元前二五〇年にロードブッダを記念して建立された。

このことは、紀元四〇九年にブダガヤを訪れた中国僧、
Fa-Hain(法顕)、また六三七年に訪れた

Huen-Thsang(玄奘)によっても確認されている。偉大な考古学者の一人であるアレキサンダー・カニ

ンガムもまた、ブダガヤを調査した。

 
この地はブッダが悟りに到達された、仏教徒にとって特別のもっとも神聖な場所であることに疑いは

ない。
ブキャナン・ハミルトン博士は非常に高名な考古学者であるが、ブダガヤ寺を訪れ、大塔寺院

の状態が絶望的なほど荒れ果てていると報告した。

 
仏教は回教軍の攻撃だけでなく、ヒンドゥー・ブラーミンによる長きにわたる巧妙で執拗な猛攻撃に

よってインドから消滅した。しかし、ブダガヤ寺には何千何万という仏教徒が中国、ビルマ、タイ、

スリランカ、また、世界中から、時代を超えて訪れた。そして、ブダガヤの発掘によって発見された

いくつもの石碑が、いつの時代を通じてもこの寺院が真に仏教寺院であったことを証明している。
 

エドウィン・アーノルド卿は、「アジアの光」の著者として世界的に著名であるが一八八五年に訪れ

、英国政府に対して大塔寺を仏教徒に返還するよう訴えている。彼はまた仏教国に対し、大塔寺の管

理問題に対して関心を払うよう訴えた。

 
大菩提会の創設者、アナガリカ・ダンマパーラ師はスリランカ出身のもっとも偉大な仏教僧の一人で

、大菩提寺を仏教徒に返還するよう訴訟を起こした人であるが、神智協会のオルコット大佐を伴って

一八九一年の一月にブダガヤを訪れた。彼は一八九一年六月にも四人の僧侶と共に再訪しているが、

マハントたち(シバ派のヒンドゥー・ブラーミン僧院長の称号)は、彼らに暴行を加え、祀ろうとし

たブッダ像を外に放り出したという。訴訟は地方判事まで行き、彼は、「大塔寺は継続的に変わりな

く、仏教徒の巡礼者による仏教徒の信仰の場所として使用されている。大菩提寺内において、いかな

る形式のヒンドゥーの信仰も執り行われて来なかった。また、多くの世紀にわたってそのようなヒン

ドゥーの信仰が執り行われてきたということを示すものは何もない」と語っている。

 
カルカッタの高等裁判所の判事マクファーソンは述べている。「非常に古く、また仏教徒にとって

神聖な大菩提寺は、仏教寺院であったとされている。ヒンドゥー・マハントの所有になってはいるが

、それはヒンドゥーの神々が祭られているとか、正当なヒンドゥー信仰がそこで行われているとかい

ったことはないという意味において、また仏教徒の巡礼者が自由に立ち入ることが出来、自由に礼拝

してきたということにおいて、決してヒンドゥー寺院に改宗されてはいない」と。

 
裁判記録はすべての新聞に公表され、ブダガヤ問題はインド、ビルマ、その他の国々の話題となった。

 そのような強力な世論が仏教徒の主張を後押しした。

 
一九四九年、ビハール州政府は寺を管理委員会に移管するとしたが、内容は四名の仏教徒と、四名の

ヒンドゥー教徒、それに大塔寺の管理において多数派ヒンドゥーの優越を保つための狡い方法として

、議長には常にガヤ地区長官(しかも彼、もしくは彼女はヒンヅー教徒であることが条件)を任命す

るというブダガヤ寺院法を採択した。

 
一九四九年の寺院法の制定以来、管理権はブッダの教えをなんとも思っていない多数派のヒンドゥー

・ブラーミンの手にある。貴重な仏像や壁面の彫刻ははがされ密かに売りとばされてしまった。仏教

徒の聖地を破壊するためにヒンドゥー・ブラーミンたちはブッダがヒンドゥーの神、ビシュヌの化身

であると、誤った主張をしている。ヒンドゥー・ブラーミンの僧は、ロード・ブッダはヒンドゥーの

神であって、それ以外の何者でもないと世界に思いこませたいのだ。彼等は仏像の首をすげ替えて参

拝者に間違った説明を繰り返している。ブッダは神または神の化身であるなどという哲学は仏教には

ない。異なり独立した宗教であるということは定着し、受け入れられている事実である。

ヒンドゥーブラーミンの僧侶によって引き起こされた最も重要な問題のいくつか。

  1・元からあるロードブッダ像のいくつかは汚され、また大菩提寺から盗まれている。(それ

らの 失われた彫刻群の膨大なリストはパトナの考古局が記録保存している)


2・仏蹟巡拝団のお供えや寄付金の会計、寄進された品々が適正に処理されていない。(長い間  
、個人が着服、あるいはヒンドゥー団体に流れてしまい、聖地の整備、保存に使われることは  

なかった)


3・管理委員会の選挙は反対の声が上がったり、インド中に論議を巻き起こした後でしか行われ  
ない。

  4・ヒンドゥーの神々のいくつかの神像が仏教色を薄め、傷つけるためにシヴァ・リンガ(男

女の 性器をかたどったもの、シヴァ神の象徴)とともにひそかに持ち込まれている。

 5・仏教を傷つけ、不純物を持ち込もうとして、大菩提寺の中であらゆる種類のヒンドゥー教の

儀式や慣習が続けられている。(例:生け贄の習慣から、境内で山羊の首を斬って供えたりした。 
ヒンドゥーの先祖まつり「ピンダーダン」の時期になると、ヒンドゥーの参拝者が大量の小餅を 

大塔の聖池に投げ込むことで池がどろどろに汚される)

  6・ブラーミン僧が参拝者の供えたお布施や品物を横領することで、地域の犯罪的要素が拡大して  
いる。(
一時期は本当に周辺の治安は荒廃し、物騒であった)

このようにブダガヤの神聖さは脅かされていた。全世界はその時々にブダガヤで起こっていること

に対して関心を表明してきている。佐々井秀嶺師をリーダーとする全インド比丘マハサンガは一九九

二年に、大菩提寺問題全インド行動委員会をスタートさせた。それ以来、彼等はブダガヤで平和的に

抗議を続け、インド政府・ビハール州政府の両方に対して一九四九年ブダガヤ寺院法を改正するよう

、また大塔寺の管理権を仏教徒に移管するよう要求している。

 
全世界仏教徒の聖地の中のもっとも聖なる場所が全く仏教徒でない者たちの手にあるということは驚

くべきことである。このことはインドにおけるこの問題の特異性といえる。キリスト教会はクリスチ

ャンの下に、回教寺院はモスレムの下に、ヒンドゥー寺院はヒンドゥー・ブラーミンの管理下にある

のに、なぜ仏教の聖地の中のもっとも聖なる場所が仏教徒の管理下にないのかという点である。

 
これまでインド政府・ビハール州政府は、大塔寺を仏教徒の管理に移管するために何らかの手を打つ

という保証を与えてきた。これまで佐々井師たちは中央政府の要人、また州の首相や大臣たちと会見

した。しかし何も具体的なことは実行されなかった。これまでの仏教徒の運動が総じて穏健で、かつ

民主的であったために、政府の要人たちは佐々井師らの要求を全く無視してきたのだ。

 
このことについて佐々井師らは国連事務総長コフィー・アナン氏に対して二〇〇二年一月二三日付の

書簡を送った。そして、大菩提寺大塔の管理権が仏教徒に完全移管されるようインド政府に働きかけ

て、世界中の仏教徒に対して正義を示してくださるようにと請願している。「その決定は全世界に公

正と平和と思いやりの理念を広めて行くのに多大の効果を発揮する。故にわれわれは国連に一九七二

年十一月十六日に採択され、一九七四年十二月十七日に発効した世界の文化・自然遺跡の保護(ユネ

スコ)に関する条約を活かすよう求めたい」と佐々井秀嶺師は訴えた。
 
その結果二〇〇二年六月にユネスコはブダガヤを世界遺産として認定した。このことは全インド仏教

徒ならびに全世界の仏教徒にとって喜ばしいことである。われわれはもっとそのことを喜び、かつ盛

大に祝うことによって、世界にアッピールすべきではないのか。その後八月、佐々井師はすぐにジュ

ネーブとパリに赴き、国連人権高等弁務官のメアリー・ロビンソン女史と会見、続いてユネスコ本部

を訪れ、大塔管理権問題は人権問題であるとして、多数の資料を提出している。ユネスコはインドを

含む一五九ヶ国によって批准されている。遺跡委員会は歴史的、芸術的、科学的、そして美的観点か

ら傑出した普遍的な価値あるものとして条約によって認定された事物文物の保護を監督することとな

っている。
 
われわれ日本仏教徒もまた世界の仏教徒と連帯して、国連等にも強く訴えて、インドが「国家、民族

、宗教また言語による少数者に属する人々の権利に則った世界人権宣言(一九四八年)」に従い、ま

たボドガヤ寺院法一九四九(一九四九年ビハール州法、一七条)ー(一九五五年二月八日に修正)を

適正に改正することによって、ブダガヤ大菩提寺大塔のすべての管理権を仏教徒に移管するよう、そ

して大菩提寺大塔をめぐる仏教徒とヒンドゥー右翼との衝突を未然に防ぐよう働きかけて行かなけれ

ばならない。そうでなければ我々はお互い釈尊を本師と仰ぐ仏教徒とはいえないのではないだろうか

。