菩提達磨禅士からのメッセージ
 
 私は ボディーダルマと申します。坊さんになる前の名前はMURCIDHAR 
KHOBRAGADE です。
 生まれは1961年7月1日です。大学の三年生で勉強をやめて、ブダガヤの
日本寺に修行に行きました。私の親は元不可触民でマハールカーストでした。 
1956年10月14日、アンベードカル博士が改宗した日に、ともにヒンドゥー教
から仏教に改宗しました。その前まで不可触民としての生活をしておりました。
おじいさんは牛車を持っていて、それで建築資材を運んで生活をしていました。
 インドでは不可触民には、それとわかる名前を付けなければなりませんでし
た。汚い言葉です。私のおじいさんの名前、マハ・グーもそういう名前でした。
4人の子供(男3人女1人)の生活のために村から町の方へ出ました。その町
はナグプールでした。牛車の仕事を続けました。兄弟の中で私のお父さんが長
男でした。ですから家族の責任は当然お父さんの方に来ました。
 おじいさんが亡くなった後、父は牛車を使って死にものぐるいで働き、建築資
材の運搬という仕事を発展させました。父はトラックを二台買いました。 その
当時、不可触民でトラックを二台も持つ人は初めてでした。この商売で、父は大
きな家を建てました。その当時、大きな家を建てた仏教徒の一人です。  私は
こういう恵まれた家に、五人兄弟の四番目に生まれました。(男4人、女1人)
 学校でのことですが、私は十一才からレスリングをやり始めました。州で有名
なレスラーのようになるのが夢でした。けれども、学校のトーナメントで優勝して
もマハールカースト出身ということで認めてもらえませんでした。上位カーストの
ものがそうしたのです。私は、非常なショックを受けました。 
 初めてカースト差別を受けたのです。そしてこういう差別の社会を見て、大変
苦しんだこともありました。子供の時分からアンベードカル博士と仏陀のことを
読みました。私のように学生であっても差別を受ける私みたいな人はどれほど
いるであろうかということに心を打たれました。
 そこでアンベードカル博士のように自分の民族のために何かをしたいというこ
とに目をつけました。それでお坊さんの道に入りました。
 私の授業師は佐々井上人です。私は子供のころから上人の活動をよく見てき
ました。また佐々井上人がお寺を建てるときにも随分、私のお父さんがお上人
に協力したこともありました。また上人が家に来たこともありました。また私が空
手をやっていたときには、上人は私に武道を学ばせるために日本に留学させよ
うということも言っていました。
 そこで私は上人の弟子となり、上人と一緒にブダガヤのインド山日本寺に行
きました。そこで丸山老師のもとで禅の修行を始めました。そして、すこし日本
についての勉強もしました。二年間、 日本寺で修行しました。
 


その後、佐々井上人さまの長年の友人の神戸市長田区の明泉寺さまのご慈悲
によって、1986年の10月5日に、日本にまいりました。10月5日ということは
ダルマ大師の命日で、皆さんは私の名前も菩提達磨ですから、不思議に思っ
ていました。
 1986年から今日まで、岡山市丸山1069の曹源寺、原田正道ご老師のもと
で修業をしています。3年前から、毎年8月から11月まで少し時間をいただき
まして、南インドのカルナタカ州ケララ州タミルナド州アンドラ州に座禅の指導に
行っております。
 昨年、原田尚道老師と明泉寺さまがその様子を見に来てくださいました。今ま
で座禅指導はカルナタカ州ビジャプール市から約三十キロメートルにあるビッ
ジャルギー村のアウディさん(州の農業大臣)が自分の亡くなった奥さんの供養
に建てられたお寺を座禅堂として使わせていただいています。
 このアウディさんには三年間に私が行ったすべての禅接心の費用を供養して
いただいております。
 まるでスダッタ長者のような方で、私のインドでの仏教活動のありがたい支援
者です。私が1994年にナグプールに作った国際青年仏教会のカルナタカ州
支部です。仏教徒の支部はどんどん南インドの各州に広がって、一度に大勢
の人々が改宗しています。
 今年も8月23日から南インドに座禅指導に行ってきました。その後、9月15
日から10月18日まで「悟った人間社会を作りましょう」というテーマで、南イン
ドのあらゆるところへ行きました。
 今一番必要とされている「悟った人間社会をつくりましょう」というテーマは大
変支持を受けました。また不可触民の中で、今まで自分たちが忘れていた自分
の責任を感じるようになり、村の人々からまた都会の学問のある人々の中まで
新しい仏教の風を吹かせることができました。これからインド仏教徒を育てるた
めにお寺や禅堂が次々と必要になってきます。
 アンベードカル博士が改宗したときに、共に改宗した三〇万人の不可触民の
人々に言われたことがあります。
 『インド仏教徒たちよ、あなたたちが困ったときには世界の仏教徒たちは必ず
あなたたちの後ろに立ちます。恐れずに仏教の道を歩んでください。』と
 本当にそうだと私は思っています。日本の仏教界はインド仏教を育てるため
に必ず協力して下さると私は心から思っています。
 私はまずインドの不可触民を解放するには仏教の道しかないと思っています。
また多くの人々もそのように感じています。
                                        合掌
平成12年12月8日
                                          菩提達磨
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