1、アンベードカルの仏教観の特色


千本木 智氏の卒業論文「『The Buddha And His Dhamma』にみる
    アンベードカルの仏教観」より転載・


  アンベードカルは同書の序文の中で四つの問題を検討の中心に据えたと述
  べている。i
 『ブッダとそのダンマ』の中で原典の「INTRODUCTION」は訳されていな
い。またその部分の邦訳は存在していないものと思われる。そこで私が以下に訳
してみたいと思う。
・INTRODUCTION訳
 仏教聖典を世に広めることは、インド国民にとって重要なことである。また、
真の仏伝、仏教教理を提示する必要性も同様に増えつつある。
 仏教徒ではない人が、仏教を全て正しく示すことはとても難しい作業である。
仏伝のみでも困難であるのに、教理を正しく理解することはなおさら難しい作
業である。実際に、世界中の仏教研究者は、研究を断念しないまでも頭を悩ま
す問題に直面しているといっても過言ではない。そこでこれらの問題を解決し、
仏教理解の方法をはっきりさせる必要はないだろうか。今こそ仏教徒自らが問
題提起し、世間に論議を持ちかけ問題を解明するべきではないのか。
 仏教伝道をするうえでの問題点を本書で論ずる前に、ここで中心となる四つ
の問題を挙げてみようと思う。
 「第一の問題」何故ブッダは出家したのか。ブッダが死・病・老の人間を目
撃したからであるといった伝承は馬鹿げている。ブッダは29歳で出家した。
もしその目撃がもとで出家したのならば、それまでに死・病・老の人間を見た
ことがなかったのであろうか。誰にも共通する出来事であるのに、ブッダが29
歳までそれらを見なかったという伝承は、もっともらしい意見ではあるが、道
理にあわないため受け入れることは出来ない。では実際の出家の動機は何であ
つたのか。
 「第二の問題」四諦説はブッダ本来の教説であったのか。この教義は仏教の
根本を削除している。もし人生が苦、死が苦、転生が苦だとしたら、すべては
終わっている。宗教も哲学も人間にこの世の幸福を与える手助けが出来ない。
苦からは逃れられないとすれば、宗教に何が出来るであろうか。すべてに存在
する苦を取り除き幸せを得るために、ブッダは何を説いたのであろうか。四諦
説は非仏教徒が仏教に入信する上で大きな障害となっている。四諦説は人生の
希望を否定し、仏教を厭世主義にしてしまっている。これはブッダ本来の教説
であったのか、それとも後代の仏僧たちが付け加えたのであろうか。
 「第三の問題」霊魂、業、輪廻転生について。ブッダは霊魂の存在を否定し
たが、業と転生の存在は肯定したとされている。そこで問題が出てくる。霊魂
がなかったならば、何故業と転生は発生するのか。ブッダがバラモンと同じ意
味でこれらの言葉を使ったとすれば、霊魂否定と業・転生の肯定に大きな矛盾
が生ずる。この矛盾は解決しなければならない。もし違う意味で使ったのなら
ば、ブッダはいかなる意味で業と転生という言葉を使ったのであろうか。
「第四の問題」ブッダはどのような目的で比丘を置いたのであろうか。完全
な人間をつくるためであろうか。それとも世の中の人々への奉仕に身を捧げ、
彼らの友人、指導者、哲学者となる社会奉仕者をつくるためであろうか。これ
は仏教の将来にかかわる大きな問題である。比丘が単なる完全人間だとしたら、
そのような利己主義者は仏教の布教には役立たないからである。一方で、比丘
が社会奉仕者であったならば仏教の希望になるであろう。これは教義というよ
りは仏教の将来にかかわる問題として解決しなければならない。私の問題提起
により読者が感化され問題解決に寄与してくれれば幸いである。
 この四問題をもとに次頁よりアンべ−ドカルの仏教観の特色をあきらかにし
てゆこうと思う。
i山崎元一,「アンベードカルの仏教」『國学院雑誌』79巻3号,1978,P45 より引用